つむぎ語り~心を紡ぐ、言葉の旅

語り口調のエッセイよ。

心の成長は人との出会いから:嫌な人が教えてくれること

「あんたって、悪口言わないよね?」って、あたし、よく言われるのよ。

えぇ、まぁ、確かにあたしは言わないわね。

でもそれって別に聖人ぶってるわけじゃないの。

悪口ってめちゃくちゃ伝わるの早いのよ!

スピード感で言えば、SNSのトレンドなんて目じゃないわね。

だってさ、誰かの悪口言ったら、その話、回り回って結局本人に届くでしょ?

知らないうちに自分の悪口が広がる現象、もうミステリーよ?

で、いざ本人にバレたとき、その人、傷つくわけよ。

傷つけたくないと思うくらいなら言わない方がいいでしょ。

仮に傷つけてもいいわってくらい嫌いだとしても、結局いずれ自分がその傷をもらっちゃうってこと。

ほら、ブーメランみたいに返ってくるわけよ。


もっと根本的な話をしちゃうわね。

あたし、そもそも「人を悪く思わないようにしてる」のよ。

これね、訓練の賜物なのよ。

多少のことはスルーできる性格だったけど、それでもどうしても「この人だけは無理!」ってタイプの人間、いるじゃない?

もう、顔見ただけで、血圧上がるわって感じのね。

で、そういう人に対してカチンと来る瞬間があったのよ。

あたしだって怒るときはあるの。

「何でこんなことでイラついてんのよ!」って自分にツッコミ入れることもあるわけ。

でもね、その怒りに囚われてる自分って、めちゃくちゃダサいのよ。

何しても楽しくないの。

楽しくない人生って最悪でしょ?

人生って短いのよ。

地球の歴史から見たら、私たちの一生なんて「ハウスダスト」くらいの存在よ!

そんな一瞬の命を、嫌なやつのために消費するなんて、どんだけ無駄遣いしてんのって話。

あたしの楽しいはずの人生で、最悪な気持ちにさせる人間がいるなんてと思ったら、

排除できるならしたいし、逃げられるなら逃げたい気持ちでいっぱいになったのよ。

だけどそれができるなら苦労しないのよ。

そこで、あたし決めたの。

排除できない、逃げられないなら、もういっそのこと、嫌な人でも「人生の訓練」だと思ってとことん向かいあってみようって。

もう最初は正直、めんどくさいったらありゃしない。

いろんな角度からその人を観察して、ひきつりながらも必死で話しかけたわよ。

すると、あら不思議、ある日、嫌壁をベリべりと剥がしていく感覚が訪れるのよ。

あたし、最初はその人の「人としてイヤな部分」ばかり見てたのよ。

(なんであんなに怒鳴るんだろう)(なんであんな言い方しかできないんだろう)ってね。

あの人が何言っても悪くしか捉えなかったし感じ悪くとっていたのよ。

でも、じっくり見ていくと、弱さもちらちら見えてくるじゃない?

そこの部分にすうっと入ってくと相手の態度や言動がガラリと変わってきたのよ!

人格まで変わっちゃった感じよ。

そしたら「あれ?なんで苦手だったんだっけ?」ってなっちゃうの。

きっとね、誰一人、自分をわかってくれる人がいないと思っていたのかもしれないわね。

でね、最終的に何が分かったかって言うと、あの人が見せてくれてたのは、あたしの未熟な部分だったの。

人の心の奥深さを真面目に考えることがなかったあたしの未熟な心よ。

言葉も単純に受け取って、勝手に嫌な気分になっていたのかもしれない。


そう考えたら、「あぁ、神様ってちゃんと教えてくれてたんだな」って思えてきてね。

感謝すら湧いてくるのよ、本当に。

その苦手だった人とも仲良しになってね、不思議なもんね。

すっかり打ち解けて、むしろ尊敬すらしちゃってるわよ。

もちろん、そりゃ全部が全部理解し合えるわけじゃないけどね。

でもね、どんな人とでもちゃんと向き合えるって自信ついたのよ。

あの人と出会わなければ今でも苦手な人がいるかもしれないわね。

龍神様に修行させられたのかもしれないって思ってるのよ。

人との出会いって自分自身の魂の修行のために必要不可欠なのよね。